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![]() 大垣市墨俣町の歴史 墨俣にある一夜城 永禄4年(1561)一代の梟雄といわれた斎藤道三を殺して美濃稲葉山城主となった斎藤義竜が死亡し、その子の竜興が後を継ぐと、 織田信長は美濃攻めにとりかかった。 信長は美濃国内に橋頭堡を築くことを決意。長良川や犀川などが合流し、洲の股の形となっている墨俣を築城の地に選んだ。しかし、 敵地であるため、妨害する敵を防ぎながら資材を運び、短期間に築城しなければならず、難工事が予測された。 永禄9年(1566)まず信長の重臣・佐久間信盛が築城工事に着手したが斎藤方の攻撃を受けて失敗。次いで柴田勝家が着工するがこれまた失敗に終わる。 この時、まだ軽輩だった木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がこの難工事を買って出て、信長の許可を得ると、 藤吉郎はこのあたりの地形に詳しい蜂須賀小六正勝ら近郷の野伏たちを駆り集め、長良川の上流から資材を筏にくんで流し、あっという間に砦を築き上げてしまった。 世にこれを「秀吉の一夜城」と呼ぶ。 永禄10年(1567)信長が難攻不落といわれた美濃稲葉山城(岐阜城)を攻略するに及んで、墨俣の砦は用済みとなり廃城となった。 NHKでも取り上げられた 墨俣城。春には 桜の地としても知られています。 墨俣について詳しくはこちらから
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